頑張れ ベンチャー

                                                              榎本和男 著

●頑張れ ベンチャー〜その1(新連載)
  平成8年6月、富山市テクノパークで開催されたコンピュータ展示会に出展したとき、「ベンチャープ
ラザ」開催のリーフレットをカタログスタンドで見つけました。丁度この時期に第二店頭市場にソフト開
発会社のATLシステムなど3社が公開する話題が注目を集めていました。
  「ちょっと待って プレイバック!」こんな衝撃を受け、「もしかしたら、可能性があるぞ!」という
ことで「ベンチャープラザ中部」に応募しました。ATLシステムのソフトの内容を判断すると俄然強気
になったわけであります。事業名は「積算ソフト開発プロジェクト」、会場は名古屋ヒルトンホテルでし
た。全国から夢と希望を抱いたベンチャー達約30社が集まり、熱気が充満していました。今では当たり
前ですが、当時130万円した液晶プロジェクターを1日レンタルし、5万円は高いなと感じたものでし
た。しかしながら、ソフトをベンチャーキャピタル・投資家に見て頂くには不可欠でした。積算ソフトと
は、住宅見積りに不可欠な作業で、人手で行いますと熟練者で4〜5時間の作業量となります。これを瓦
小町は図面と原価計算書などを5〜10分で積算するソフトです。二次元CADと積算部分を兼ね備えた「
優れもの」です。従来はソフト屋さんが建設の専門知識のないまま「見よう見真似」で作成したものが主
流でした。建設業20年の経験とソフト開発力から産まれたものが瓦小町です。この年は熊本、盛岡の3
会場に参加し、20分のプレゼンテーションは順調に終了し、見ている人たちを唸らせることができまし
た。しかし、広報力、販売店の支持、需要家の評判、売り易さ、販売力、売る人に利益があるか、などな
どの複合した要因には気づきませんでした。参加したことだけで有頂天になってしまったのです。このと
きに担当だった通商産業省の林正巳さんとの交流の始まりでした。
  ベンチャープラザ九州熊本開催では担当の通商産業省の須田さんがプレゼンを見てビックリし、いきな
り「日本の山を助けてくれ」と、冗談混じりでの会話から炭焼十字軍が誕生します。ソフトの販売にはい
つか限界があるので将来に向けての新規事業開発の調査を始めてたのです。当時の竹炭はkg当たり20
万円で、面白いと思い、真剣に市場調査を開始したのです。
  歴史を紐解けば、織田信長は楽市、楽座で時の流れをつかみ有能な人材も見出したのです。豊臣秀吉は
自ら愛知県岡崎市の東海道矢作橋の上で針売りをしながら時の流れを掴んだのです。平成の世では新聞・
雑誌などに頼っていたのではニュース(NEWS)ではなくOLDSというニュースで踊らされるのです。
同時に数百万人の人が見ている媒体では新規事業のネタはあるはずがありませんね。リーダーに魂がない
事業は成功するはずがありません。
 べンチャープラザを契機として事業計画書作りの技術を身につけたのです。バルザック曰く「恋をする
にはラブレターを書く女と、恋が破れても文章力が残る」。現在まで6年間、全国延べ30数回ベンチャ
ープラザなどに参加しています。そして、多くの人との出会いが始まったのです。
(次回は新規事業法に挑戦)

●頑張れ ベンチャー〜その2(新連載)
新規事業法に挑戦
 ベンチャープラザを契機として、バルザックの「恋をするなら恋文を書く相手と・・・」の言葉を思い
出しながら、恋人を店頭公開にしたのです。ベンチャープラザは書式の見本に基づき書きますので難なく
仕上がりました。ベンチャープラザを経験し、書式に記入する項目の新規事業法認定、中小創造法認定、
その他政策的支援、主幹事証券会社、キャピタルからの投資という大きな壁を知ったのです。こうして最
も大きな壁である新規事業法の存在を知り、挑戦することになったのです。素手でガリバーとの戦いが始
まるわけですが、書式見本の無い事前相談書という3枚の書式を受け取り、悪戦苦闘が始まりました。書
面は、「当社のプロジェクトが新規事業法認定審査の対象として適しているか否かを事前にお伺いします
」という文面を見て「う〜ん」と唸りました。新規事業課の担当林正実さんは「取り敢えず提出してくだ
さい」との説明でした。新規事業法はストックオプションと融資保証の択一で、前者は半年、後者は1年
後の認定となり、すぐにでも肩書きが欲しい、急ぎ働きなので、悩みに悩んでストックオプションとしま
した。いよいよ事前相談書の作成が始まり、「積算代行サービス:小町ネット」で提出しました。事業内
容は積算ソフトを活用したSOHO(small office home office)事業として、住宅の屋根・外装の積算
代行です。新しい試みであることから日本経済新聞にも取り上げられ、反響も予想以上に多い状態でした。
作成後に提出したところ、林さんから「誰でも理解できるような説明」が求められる、と説得を受けたの
です。今思えば当たり前なのですが、専門性の高い分野を誰にでも理解できるように説明することは至難
の技と思えました。建設業の知識と経験、ソフト制作の最新技術という異なる複数の専門分野に基づき出
来上がったのが「瓦小町」です。これを道具として積算代行を行うのですから、市場規模とか需要予測と
かを熟慮して作成するのです。
 さて、事前相談書を提出したところ、早速、赤鉛筆の嵐が巻き起こったのです。「審査の対象として適
しているか否か」という基準で、林さんの質問が始まったのです。返事は「母殺し」の異名があるように、
はい、はい、と空返事の連発です。突然、「プツンッ」と音が聞こえたのです。開き直ったのです。「命
に関係ない」から気楽にやろう、と。それからはなんと気楽なことでしょう。数回の書き換えの後のこと
です。電話での問合せに対して、「ファクスで原稿を送ってくれる」とファクスによる添削講座の開講で
す。急に目の前が開けてきたのです。
平成8年12月24日 書類を郵送
平成9年1月8日   ファクスで「やや錯綜してきた感じがします。もう少しあっさりと、エッセンス
だけを記述した方が良いと思います。」
平成9年1月10日 事前相談書を郵送で提出。
平成9年1月13日 事前相談書を郵送でいただきました。若干修正・追加をお願いします。」(かなり
の修正だった)
平成9年1月14日 「FC本部の見通しはこれでよいと思います。全体の売上数字が間違っているので
は?」
平成9年2月20日 「事業としての新規性、他社の追随性はこんな風に書いてみました」。修正後再提
出。
こうして漸く受理されたのです。
この時の林正実氏の親切な対応に心を打たれ、ベンチャー支援組織「ベンチャーパーク」が平成12年2
月25日、弊社顧問福尾券一氏らの支援で誕生したのです。

●頑張れ ベンチャー〜その3(連載)
新規事業法に挑戦 その2
 ベンチャープラザを契機として、バルザックの「恋をするなら恋文を書く相手と・・・」の言葉を思い
出しながら、恋人を「店頭公開」にしたのです。ベンチャープラザに参加して多くの問合せに対して説明
をする中で、大和証券SMBCの桑山さんから監査をうけるように提案を頂きました。平成9年1月中旬
にショートステージを受けたのです。監査法人とは複数の公認会計士で法人格を取得したもので、店頭公
開するときには2期分の監査報告書が添付されます。最近ではエンロンで有名になりましたね。監査法人
は株主の利益を、税理士は税務指導を、取締役は会社の利益を、監査役は社員の利益を守ることになりま
す。短期間で行う監査は通称ショートステージと呼ばれます。3日間の監査はあらゆる在庫まで調査を行
い、費用は五十数万円で、店頭公開の恐ろしさを感じたものでした。監査は、最初に過去3ケ年分の決算
書類の提示を求められ、すべての書類を用意します。顧問税理士の立会いを求められ、徹底的に行うもの
です。2週間後、大和総研の面談を受けるため、桑山さんに同行頂きました。約2時間の面談で、事前説
明書に基づき積算ソフトの市場性、将来性などの説明をしました。今ではSOHO(スモールオフィス、ホー
ムオフィス)という言葉でニッチな市場も社会に認知されたのですが、当時はまだバブルの中でした。印
象は「難しいかな」でした。当時の証券会社で主幹事証券となれるのは野村証券、大和証券、日興証券、
山一証券の大手4社を入れても10社程度で、余程魅力がなくては動いてくれません。それから2週間後
に産業基盤整備基金による新規事業法の事前審査となりました。東京で事前説明書による審査は2時間で
終了しました。これで第二ラウンドが無事すんでいよいよ最終審査を待つことになりました。一体、どれ
だけの書類を書いたのでしょうか?
(次回は新規事業法に挑戦 その3)

●頑張れ ベンチャー〜その4(連載)
新規事業法に挑戦 その3
 新規事業法は6ケ月で審査するストックオプションと12ケ月で審査する融資保証の2種類があります。
三バン(地盤・看板・鞄)のないものとしてはなんとしても「新規事業法認定企業」という看板がほしい
事情がありました。
多くのベンチャーキャピタルの人たちから異口同音で、「特許はありますか」、「国の認定はありますか
」、というのに苛立ちさえ感じたものでした。何とかしたい、という気持ちから「急ぎ働き」のストック
オプションを選択したのです。
 4月19日、通商産業省(現経済産業省)13階西第6会議室で3時から1時間です。当日はソフト開発
担当の有賀さんと期待に胸躍らせ出かけました。1時間前に到着、最上階の喫茶店へ入り心の準備をした
のです。
榎本 ここまで来れたね。(階数ではないよ)
有賀 はい(かなり緊張している、技術的な説明を担当)
榎本 結果は余り気にするなよ、運があるからな。今日か昨日の新聞に、ストックオプションが解禁され
るという記事があったから・・・。
有賀 はい、ということは?
榎本 ひょっとしたら、新規事業法は融資保証だけになるかな?
 こんな会話をしながら出番を待っていました。いよいよ審査時刻10分前です。13階西第6会議室へ
移動しました。
 第6会議室では、新規事業法担当の土本業務班長と住宅産業課長と補佐の3人の審査でした。事前に送
ったプロジェクターで「積算代行サービス 小町ネット」を説明し、後半は有賀さんが専門的な説明で、
ソフトの心臓部にあたるアルゴリズム(手順の組立)まで行うものでした。素っ裸になったそんな気分に
なってしまいます。国の威信を掛けた審査の厳しさを感じたものです。総評は、入口と出口の良さは分か
った、利益を受けるのは開発者とソフト利用者だけだろうか、というものでした。(ドキッ、・・・)1
時間の予定が2時間となり、ストックオプションが6月に解禁される可能性があると説明があり、背中に
一瞬、悪寒が走りました。(しまった!急ぎ働きで、功を焦ったのか)
班長から別れ際に、
班長 ここまでのことができるのなら、もっと社会全体が利益を受けるものはないのだろうか?(ドキッ、
ドキッ   ・・・・・・・)
榎本 社会全体が・・・。ウ〜ン・・・。(オギャ〜、炭焼十字軍誕生の契機です、豚もおだてりゃ木に
登るかな?)
班長 ソフトの認定は非常に難しい状況だよ。
榎本 一体、何があるのですか?
班長 日本には800人の衆・参議員議員がいるから、基準のはっきりした、誰にでも説明できるものが
対象だろうか。
 そういえば、申請段階で択一と説明を受け、ストックオプションを選んだことが悔やまれたのです。そ
して、社会全体が利益を受ける技術開発への挑戦が始まりました。多くの人との出会いが契機となり・・・。
(次回は炭焼十字軍物語その1)

●頑張れ ベンチャー〜その5(連載)
炭焼十字軍物語 その1
中小企業創造法を門前払い
 帰り際に土本班長から「神風を背中に受ける事業が何かあるはずだけどな〜」と助言を頂きました。な
るほど自己満足では確かに社会性がなく、共感を呼べません。この言葉が頭から離れませんでした。
 平成9年2月19日、「中小企業創造法」の申請を愛知県庁に提出しましたが、「ベンチャーキャピタ
ルの事前了解を受けてから申請してください。申請書は返送するから了解して欲しい」とのことでした。
受付まで拒否されたのです。法律は全国共通のはずですが、県レベルで受取拒否されたのです。県民の
ために働くはずが県民の妨害をしたのです。「なんか変だな?」と思いながらも担当窓口が一つのため
諦めました。一体何がベンチャー育成なんでしょうか。
炭焼に議論沸騰
 ソフト代理店会議を稲沢市で平成9年6月に開催しました。会議後の宿泊は稲沢市勤労福祉会館4階
の大部屋で、車座になり議論を深夜までしました。「将来性のある分野はなんだろうか?」の声で私事
を披露しました。渓流釣りを趣味として20数年、山が荒れ、川があれ、山村の荒廃を見つめてきまし
た。岩魚もアマゴも棲家が無くなり、魚釣りではなく、糸垂らしとなって来たのです。この山、川を何
とかしたいという思いは募るばかりでした。そして、我々に夢と希望を託してくれたお爺ちゃんやお婆
ちゃんが粗大ごみ化しているのも気がかりの一つでした。この年の12月に「地球温暖化防止京都会議」
が開催されることから、日本で最も遅れている炭化処理分野に着目していました。同様に複数の参加者
から「竹炭」という声が上がりました。浜松、熊本の展示会では1キログラム20万円で、それを作る炭
化装置は3千万円だったのです。瓦小町代理店の構成は瓦用焼成窯代理店、副資材販売店、瓦メーカー
などで構成されていました。「3千万円は高いぞ」、「竹炭は将来性があるぞ」などなどでした。そん
な中である参加者から、「瓦焼成窯が自動のトンネルキルンになったから全国に不要になった窯が沢山
あるよ」。この一言から議論が深まり、いよいよ現実味を帯びてきたのです。埼玉・群馬・愛知・岐阜
・兵庫・香川・宮崎などです。参加者も全国から来ていますので、実態を調べることを宿題としました。
開発グループを「小町ネット」とし、焼成窯、炭焼窯、竹炭、竹酢液などの調査が始まりました。調査
をする中で瓦焼成窯は3メートル立方で大きすぎるため煙の処理装置に費用が掛かるので中止となり、
新規で製作した方が安いことが分かったのです。誰が試作を担当するかと悩んでいたところ、Kさんが
「僕がやります」と立候補してくれ、ホッとしました。11月になると本格的に試作装置の完成時期、公
開実験日などと熱を帯びてきました。翌年の2月に公開実験をすることとし、試作担当のKさんと連日
打ち合わせを行いました。
 平成10年2月17日〜18日、第1回公開実験は埼玉県児玉町で、会社に事務員一人を残して4人で出か
けました。他には宮崎市、明石市からも参加頂きました。炭材は竹にすることになり、急遽竹を用意し
ていだいたのです。当日は「赤城おろし」の吹く中、寒さに震えながらの炭焼実験でした。余りの寒さ
にプロパンガスが凍りつき火がつかないで慌てたものでした。プロパンガスは液化で、気化するのに熱
を奪い、気温により準備するボンベ本数が異なることも勉強したのです。火が入ると見ているだけで、
煙の中でジット4時間見つめていました。参加者は経費を抑えるため全員がサウナで宿泊でした。翌日
はいよいよ待ちに待った炭出しです。参加者のほか地元の方も珍しさから見学者が増え、注目の中で扉
が開けられました。「炭ができてる!」と、思わず全員が口にしたのです。当たり前の筈ですが・・・。
この感動が「イケル」となったのでした。
 (次回は炭焼十字軍物語 その2)

●頑張れ ベンチャー〜その6(連載)
炭焼十字軍物語 その2
炭焼十字軍を命名
 第1回公開実験は長野オリンピックの開催前で、Kさんは週末には家族で見に行くと楽しそうに話し
ていました。この実験が終了した夜の反省会で今後の展開と担当を打ち合わせしました。試作を担当し
たKさんは製造を、企画を担当した我が社は販売を受け持つことになりました。その他のメンバーは煙
の多さに驚き、また、炭焼装置の市場が熟していない、ということから静観することになりました。販
売を担当することになり、戦略はキーワードを「神風を背中に受ける」ことを重視し、「環境・リサイク
ル・雇用機会」としました。社内から複数の名前が出されましたが、キーワードが決まるといつしか「
炭焼十字軍」と必然的に命名されました。従来の炭焼が1〜2週間で行われていたのを1日製造にこだ
わり、簡単操作も実現できたのです。次はどの業界に対して広報活動を行うかということから市場調査
です。基本的には業界紙がある業界で、林材、木材、園芸、建設、農業となりました。夜間大学在学中
に業界紙記者を経験したことを思い出しながら、業界新聞社を中心にニュースリリースを送付しました。
京都会議に関するTV、新聞報道が盛んになるにつれ、「炭焼十字軍」はニュース価値があったのです。
日本全国の多くの新聞に取り上げられ、「炭焼十字軍」は市民権を得ていきました。 
煙との戦い〜序章
 扉を開けて、竹炭を見た時の歓声はそれはそれは大きなものでした。誰もが竹炭を手に取りながら、
表に、裏にひっくり返しながら、或いは竹炭と竹炭を叩きながら自己陶酔のような、そんな感慨だった
のでしょうか。竹炭ができたことで自信を深め、次は何を炭にしようか、と炭材探しが始まりました。
杉の直径50センチの根株、アカシア、破竹、松の葉などが集まりました。火入れをして1時間もしな
いうちに、前日と異なり、風が無く煙が辺り一体を埋め尽くし、息をするのが苦しいくらいの状態です
。「さて、困ったな」と内心不安がよぎり、炭は出来たけど「煙を何とかしなくては」と次の課題に直
面してしまいました。まるで一日天下で、一瞬の達成感も吹っ飛んでしまいました。
 翌週、前回の公開実験に都合がつかなかったメンバーが日立市からH社長、町田市からM社長が参加
して公開実験を行いました。この日も無風状態で、煙が半径50メートルに霧のように広がり、視界不
良となりました。公開実験場は敷地面積1,000坪、建屋300坪2階建ての大きなものでした。この前日に、
偶然、公開実験場の近くで産廃業者が焼却して、町役場と消防署へ電話が入ってしまいました。不運と
はこのようなことでしょうか。近所の方からも洗濯物に臭いがつくと苦情が出始め、これ以降は実験が
出来なくなりました。Kさんと煙の除去に対しての検討が始まりました。この時点では煙に対する規制
が少なく、アフターバーナーを付けることになりました。
 その後、4月に稲沢市で行われた公開実験では煙のない方が良いということでアフターバーナーをつ
けて行いましたが、煙に含まれる水分が多すぎてバーナーの火が消えてしまいました。参加者からは「
こんなに煙が多くては使い物にならない」など厳しい意見で、言い訳も出来ない状態でした。ウ〜ン・
・・。
公開実験in足助町
 平成9年6月、愛知県森林組合連合会からの依頼で奥三河の足助町で公開実験をすることになりまし
た。林業系、木材系新聞社に公開実験の案内が日本全国に報道され、全国から300人を越す参加者で
す。稲沢市での事前準備では何事もなく、順調であることを確認して出かけました。前回の失敗から試
作担当のKさんが参加することで準備をしていましたが、急遽参加できなくなってしまいました。「闇
討ちを食らった」そんな感じがしました。悪いことは予期せず訪れました。天候は雨、何度着火しても
消えてしまいました。炭焼担当のTYさんとMYさんの二人は人前での失敗の繰り返しから、何のこと
か訳も分からず試行錯誤の連続です。参加者からは「これで炭ができるのか?」、「遠方から来ている
んだぞ}という声も聞かれ始めました。確かに、鹿児島市、栃木県、石川県、岐阜県、静岡県と全国か
らの参加者です。これは何とかしなくては、と思いKさんに連絡を取り、事情を説明しました。「う〜
ん、それはプロパンガスが足りないね」。原因が分かり、すがる思いで夜9時からプロパンガスを探し
始めました。事前準備をした稲沢では問題なかったのですが、足助町は奥三河の山間部だったのです。
ガスボンベ2本を準備したのですが、後2本追加して漸く炭焼が始まりました。1時間ほどすると雨模
様の中に霧が発生し、そして炭焼の煙です。川沿いの貯木場一体が視界不良となってしまい、煙は川を
下って行きました。夜で、霧で、雨のため苦情もなく順調に炭焼が進み、夜9時からの火入れですから
火止めは深夜2時でした。これを契機に20数年前に経験した空気ろ過を思い出しながら煙を除去する「
ろ過装置」の設計を決断しました。
 窯出しは翌日行われ、参加者全員が竹・杉・桧・松・バークなどをじっくり見たのです。炭ができて
いてホッとしたのは炭焼担当のTYさんとMYさんの二人かもしれません。その後、会場をお借りして
説明会を開催しました。炭に関する質問が多く、特に新用途に関心がありました。背景には木材価格の
低迷による新事業と焼却炉規制に関する新処理法などでした。
(次回は炭焼十字軍物語 その3)

●頑張れ ベンチャー〜その7(連載)
炭焼十字軍物語 その3
エコグリーンテックに初出展
 平成9年5月に開催されたエコグリーンテックに初出展しました。環境に対する関心の高まりから日
本全国から造園業・農林業・産廃業と関心を呼び盛大な賑わいでした。炭焼十字軍1号は稲沢で見学の予
約があり、急遽2号を作り出展しました。炭焼に対しての関心が高く、持参したチラシが1日で1000
枚がなくなり、「チラシを送って!」と残り2日間分を依頼しました。一日で炭焼出来ること、運搬でき
ること、簡単操作などで脚光を浴びました。これを機会に全国各地から引き合いが殺到しました。毎日2
0件を越す資料請求が2ケ月続きました。この展示会で公開実験に参加したいからと申し出があり、懸案
の煙ろ過装置の開発が始まりました。
煙ろ過装置のデビュー
 ろ過装置は木酢液の性状がpH3.0前後の強酸性のため材質はステンレスとなります。木酢液は有機酸で
無機酸と異なり、手で触れても害はありませんがステンレス以外の鉄・銅・アルミなどの金属は腐食しま
す。ステンレスの弱点はソース、沸酸、酢酸などで腐食してしまいます。20数年前、商社勤務の時にエア
フィルターを担当していたことが役に立ちました。10年程前には喫茶店や家庭の換気扇の汚れを取るオイ
ルミストコレクターを開発したこともありました。これらの経験から空冷式ろ過装置を開発しました。
400度以上の高熱が4〜5時間連続運転ですから夏場は冷却効率が悪く、煙突に蛸足のように直径20
ミリを5メートル、10本の配管で冷却しました。
 6月に稲沢市で行った公開実験には全国から60名程参加がありました。参加者が多く説明会場の勤労
福祉会館会議室の椅子が足りなくなり、立ち見の状況でした。参加者は木材関係、環境関連、新規事業、
土木建設、造園、銀行など様々な業種でした。この後、炭焼十字軍の火入れを行い、夜に初めて会費制立
食パーティを経験しました。ホストとして一人一人の方にお礼の挨拶をする中で責任の重大さと期待を感
じました。中にはこれが3回目の方がいるほど熱気に包まれていました。翌日は晴天に恵まれ、余りの暑
さで麦藁帽子を買いに走り炭出しをしました。「なるほど、1日で出来るんだね」、「良い炭ができるんだ
な。」、「竹酢液は結構取れるんだね」という感想を残して全国に帰って行きました。
 (次回は創造法へ2回目の挑戦)

●頑張れ ベンチャー〜その8(連載)
優秀製品賞に挑戦〜中小企業異業種交流財団
 平成6年に屋根積算ソフト:瓦小町を開発し、全国の展示会に出展を始めました。出展料は東京・大阪
・名古屋では30万円以上、地方都市でも20万円です。このほかに交通費・宿泊費・装飾費がありますから
大きな負担となります。いかに安く費用を抑えるかということから情報集めが始まり、安い展示会はない
ものかと必死に探しました。平成8年から始まったベンチャープラザに参加する中で国の施策を知る機会
が増えてきました。そんな中で知ったのが(財)全国中小企業融合化財団(現中小企業異業種交流財団)
主催の「中小企業ビジネスメッセ」です。年会費6万円を払うと東京・大阪(地方開催)の展示会が出展
料6万円で出展できます。年会費を支払っても安いので早速入会しました。融合化ニュース(現異業種交
流ニュース)で財団表彰の募集案内が目に留まり、資料を取り寄せました。申請書は表紙を含め12ペー
ジで、開発の意図、新製品の概要、商品の時流性、技術品質、独創性、新製品の市場規模、競合メーカー
、販売網、販売力、生産体制、品質保証体制、安全性及び環境に対する配慮、採算性、開発等を行った異
業種交流グループ等の活動状況(交流段階、開発段階、事業化段階、市場化段階)思わず身震いしてしま
いました。平成9年に資料を入手しましたが尻込みして提出できませんでした。時流性、独創性、市場規
模、安全性及び環境に対する配慮など多くの人の英知の結晶でもあり、異業種交流から産まれた「炭焼十
字軍」を世に出すチャンスと思い2年掛かりで平成10年11月30日に申請書及び添付書類を各10部を提出し
ました。
 平成11年1月27日付で「平成10年度融合化成果表彰事業」の内定通知が届き、余りの嬉しさに飛び
上がりました。これでやっと「公的機関の受賞」を掴むことが出来ました。次は新規事業法か中小創造法
かと次の目標が湧いてきます。2月25日の表彰式典は虎ノ門パストラル:鳳凰の間で行われ、表彰の時
は思わず両手を上げて派手なポーズをとりました。そして、この受賞が大きな、大きな自身となりました。
 平成11年8月27日、「平成11年度融合化成果情報調査のヒアリング依頼」という文書が届き、受
賞後の炭焼十字軍の状況調査がありました。事前調査書を提出してありましたので2人で2時間の調査が
入念に行われました。まさかと思っていた追跡調査でムチを入れられました。
(次回は技術移転アドバイザーに挑戦)

●頑張れ ベンチャー〜その9(連載)
創造基盤技術移転アドバイザーに挑戦〜中小企業総合事業団
 平成10年1月、屋根積算ソフト:板金小僧の販売を目的として、全国の展示会に出展を始め、札幌に
3年前から出展しました。アクセスサッポロで開催された「北海道技術・ビジネス交流会」には北海道各
地の大学も出展していました。従来の展示会との違いは「共同研究のための教官要覧」を配布していたこ
とです。それまでは余り関心を寄せていませんでしたが、炭焼十字軍を開発したことから、炭化生成物(
木酢液・木炭)の研究に関心が湧いてきたことからです。手にしながら、「木酢液の研究者がいた!」と
、思わず真剣な眼差しになりました。北見工業大学化学システム工学科鈴木勉教授でした。その展示会で
中小企業総合事業団の各種施策を熟読し、なんか良いモノはないものかと紙に穴が空くほど見ました。そ
の中に「創造基盤技術移転アドバイス事業」が目に留まり、早速電話で調査しました。新年度にならない
と分からないとの返事に「予約します」とファクスをしました。同年3月、鈴木教授に電話で事情を説明
して内諾を頂き、東京でお会いすることになりました。渋谷で面談し、「ネットワークは人作り」だから
と日本木材学会の入会を勧められました。
 同年5月に中小企業総合事業団から連絡が入り申請書を提出することができました。同年8月11日に
「派遣通知書」が到着しました。9月から北見工業大学鈴木勉教授の出張講座が開催されることになりま
した。
9月26日(1回目)、教授の第一声は
先生「化学専攻の大学卒若しくは大学院卒の方いますか?」
榎本「ドキドキッ、いません。」
先生「う〜ん、難しいかもしれませんね」
榎本「・・・・」
早速社内に報告し対策を練ることになりました。しかし、ソフト分野が主力の若者たちですから無理でし
た。教授は木酢液、木タール、木炭を研究していることから木炭ボードの試作を提案いただきました。
先生「化学の実験室はありますね?」
榎本「ドキドキッ・・・・。ありません」
先生「どこかで借りる所はありますか?」
榎本「探してみます」
さあ大変、稲沢市役所に連絡し、稲沢高校を紹介していただきました。高校を訪問し、事情を説明して借
用できることになりました。ホッとしたのもつかの間、
先生「ホルマリンとテトラヒドロフランを用意してください」
榎本「ドキドキッ、どうしよう・・・、なんだろう???」
こんなふうにして木タールの接着剤の試作をしました。
先生「次回(11月12日)は木炭ボードの試作をしましょう。合板のプレスを用意してください」
榎本「エッ!ドキドキッ・・・。どうしよう」
合板工場を探しプレス機の借用をお願いしなければなりません。この夏に炭焼十字軍研修会をした際に知
り合った方に紹介頂きました。
11月12日(2回目)
 海部郡弥富町の合板会社へ出掛け「木タールボード」の試作をしました。事前に先生からボード製作用
金型などを送付頂いての実験でした。ご協力頂いた合板工場では大学教授の実験ということから快く提供
いただき順調にボード製作することができました。
平成11年1月15日(3回目)
 当初の目的の木タールボードの製作も終わったことから講演会を企画しました。稲沢市役所に案内をし
て木材業界紙などに広報して「木質廃棄物のリサイクル」と題して講演をしていただくことになりました。
今では当たり前のパワーポイントで写真、フロ−で丁寧に作成したプレゼンテーションは素晴らしいもの
でした。
先生にご心配をお掛けしながら木酢液、木タール、木炭の勉強をすることができました。1キログラム3
0万円の木炭を作っていると聞いた時は驚きと可能性を感じました。何気ない偶然が展示会を通じて結ば
れ大きな自身と勇気を届けてくれました。中小企業総合事業団ありがとう。
(次回は研究成果実用化アドバイザーに挑戦)

●頑張れ ベンチャー〜その10(連載)
研究成果実用化アドバイザーに挑戦〜中小企業総合事業団
 平成11年4月、日本木材学会は東京農業大学で開催されました。静岡大学に続き今回が2回目の参加
です。鈴木先生に1年間の指導に対するお礼と時の流れを知りたいことなどからの参加です。炭焼をして
いることからどうしても関心は「熱分解・エネルギー変換」部門が中心となってしまいます。木材学会の
研究発表は口頭発表と展示発表があります。展示発表に「17O−NMRにおよぼす木酢液およびその成分
の影響」というのがありました。好奇心盛りのため足が止まり、「なんだろう??」。早速、質問責めで
す。
榎本「17Oってなんですか?」
先生「酸素をNMR(核磁気共鳴装置)で見ることができるのは奇数だけ。」
???酸素に偶数と奇数があるっ!ドキドキッ
榎本「なんでこのような実験をしているのですか?」
先生「きのこに対して木酢液がどのような影響があるか調べたんだけどね。」
榎本「・・・・」
先生「針葉樹できのこ栽培ができたんだけどその過程での実験だね。」
榎本「エッ!、先生、それってすごいことなんだよね。きのこは広葉樹しかできないんですよね。」
先生「15KVの電圧を掛けると針葉樹が改質されて広葉樹化するようだね。」
榎本「もっと分かり易く説明してください。」
先生「きのこにはリグニンを嫌うものと好きなものがあり、通常のきのこは嫌う方だね。」
なるほど、木材はセルロース、ヘミセルロース、リグニンで構成され、コロナ放電(超高圧電流を流す装
置)することでリグニンが分解してしまうのです。
榎本「先生、この技術を展開したんですか?」
先生「誰かがやるだろう。」
榎本「エッ?じゃぁ、僕がやってもいいんですか。」
先生「いいんじゃない。」
こんなやりとりから「針葉樹きのこ菌床システム」が誕生することになりました。さあて大変だ、「どの
ようにして先生の指導を受けるか」・・・。
木材学会から帰り、国の施策を今一度おさらいしました。ありました、「研究成果実用化アドバイザー」
派遣制度です。早速申込を行いました。平成11年6月29日付で中小企業総合事業団から「派遣通知書
」が届き、8月から指導を受けることが決定しました。
平成11年8月25日 木・竹酢液の成分と温度域による違い
平成11年10月22日 木酢液と竹酢液の対比による新商品開発
平成12年1月25日 樹種による木酢液成分の違いと商品化
平成12年2月16日 木・竹酢液の無害化商品
以上の日程で延べ8日間の指導を頂き、「針葉樹きのこ菌床システム」を発表することもできました。後
に、中国遼寧省撫順市科学技術委員会から技術移転のお誘いを頂き、きのこ栽培を視察に行くこともでき
ました。多くのことを学ぶことができ、大きな自信を「派遣」して頂きました。印象的なことは、工学部
というのはなんでも「材料として見る」視線の位置でしょうか。
運が良いことからこのようなアドバイザーを派遣して頂くことができ、同じような境遇のベンチャー企業
にアドバイスしたいことから、平成12年2月15日、「ベンチャーパーク」が誕生しました。日本初の
「e-mail無料相談」を行いました。発足にあたっては弊社顧問福尾券一名古屋工業大学名誉教授が発起人
代表で上原徹島根大学助教授、小島康夫北海道大学助教授のご協力を頂きました。
(次回は平田市夢起し大賞に挑戦)

●頑張れ ベンチャー〜その11(連載)
夢起し大賞に挑戦〜島根県平田市
 平成8年のベンチャープラザの開催から全国に機運が高まり、ベンチャービジネスに関する公募は仙台
市、大阪市、京都市、雑誌アントレなどの公募も始まりました。このような流れの中で島根県平田市の「
夢おこし起業大賞」の公募を知りました。早速、資料請求をして実情調査をしました。封書にあるキャッ
チコピーに心を打たれました。「あしたの街が見えてくる。水彩浪漫 ひらた」、なんという快い響きな
のでしょう。きっと、いつか行って見たい、と思いました。それまでは聞いたことのない町でしたが地図
を開き島根県の勉強をしました。平田市は、宍道湖を挟んで松江市の対岸に位置し、人口3万032人(
平成10年6月現在)。
「夢、見るだけじゃつまらない。 2nd 夢おこし企業大賞」
 事業目的は、平田市内での企業化や平田市の地域資源を活用したビジネスアイデアを持った起業家を発
掘し、その事業化に向けて支援します。夢おこし起業大賞入賞・賞金は、金の夢賞50万円、銀の夢賞3
0万円、銅の夢賞10万円。夢おこし起業大賞助成金は、最高500万円です。
 確かに500万円は魅力で、「にんじん」としては最高ですね。早速、夢を見る旅に出かけました。炭
焼に関する提案の有無及び竹酢液関係に対しての聞き取りをしました。竹酢液に対しては無いことが分か
り、地域に根ざすこと、小資本で出来ること、将来性などを念頭にビジネスプランを検討し、「竹酢液製
造プロジェクト」を提出しました。ひたすらに「ラブレター」を書くことに精を出したのです。締切は平
成10年11月20日です。
 記載内容は、これまでの経験、会社概況(会社概要・過去3年の財務データ・資金調達・大株主の状況
・外部機関との取引状況)、ビジネスプランは、1、事業内容[事業コンセプト 基本的な考え方・平田
市との関わり等]、2、動機、背景[なぜこの事業に取り組もうと思われましたか]、3、現況[この事
業についての競合状況等、取り巻く状況について]、4、事業上の問題点・リスク[この事業を遂行して
いくにあたっての課題]、5、事業実施計画、@販売価格、価格方針、A販売方法、B売上・利益計画(
3年分商品別)、C資金計画、@資金需要計画、A資金調達計画。
 残念ながら、このプランはボツとなりました。この時点では竹酢液が平田市では認知されることなく、
東京で販売されている情報すら入手されなかったのでしょう。花粉症・育毛・アトピー・乾燥肌・消臭な
どなどという事例は竹酢液を知らない人の評価ですから無理だったのですね。
(次回は平田市夢起し大賞に挑戦)

●頑張れ ベンチャー〜その12(連載)
夢起し大賞に挑戦A〜島根県平田市
 翌年も再度「夢おこし企業大賞」に挑戦です。「針葉樹きのこ菌床製造プロジェクト:きのこ十字軍」
は、きのこは「広葉樹しかできない」という常識を破るシステムです。日本には戦後植林した針葉樹の杉
・桧が大量にあり、針葉樹おがこは端材から取ることができます。島根大学上原先生との出会いでこれを
商品化する了解を得て、市場に参入しました。木はセルロース・ヘミセルロース・リグニンで構成されて
います。きのこ菌には白色腐朽菌と褐色腐朽菌があり、リグニンを嫌う菌と食べる菌できのこの種類が異
なります。上原先生は「雷を受けた木からきのこが生える」という言い伝えから、九州大学博士課程でコ
ロナ放電の研究を行いました。コロナ放電とは15KVの電圧を陽極(送り側)から陰極(受け側)の隙間
(空気中)に電気を送ると火花が発生します。この隙間に針葉樹おがこを通すと、おがこに含まれる水分
やリグニンが分解して、リグニンが除去され広葉樹のように改質します。針葉樹おがこは天日に約1週間
干すことでリグニンが分解され、これに近い状況となり実用化しています。きのこ十字軍では工業的に改
質処理が出来ることで画期的な技術なのです。後に、中国遼寧省撫順市科学技術委員会から招請を受け、
出かけました。
 きのこは天然のマツタケ、椎茸の原木栽培以外はポット栽培が主流となっています。この事業が成功す
るには広葉樹おがこ不足或いは高騰したときでしょうか。遼寧省では針葉樹しかなく、とうもろこしや針
葉樹で実験して思うように行きませんでした。佐賀県、京都府などでは不足していることから問合せは多
く、胸躍らせたものでした。きのこ菌床栽培で採算を合わせるには施設建設費用が2〜3億円と膨大なこ
とから自己資金で行うことが難しく、従来は林野庁の特用林産物補助事業で70〜80%の補助金で行っ
てきました。このシステムが夢起し大賞の一次審査を通過して候補作となりました。二次審査のヒアリン
グに初めて平田市を訪問しました。時刻表でJR「特急やくも」と一畑電鉄を調べても到着時刻の2分前
が電車の出発時刻となっています。こんな馬鹿なことはないと思い、出雲市に到着しました。時刻表は正
しく、約1時間待ちとなりました。あれから2年が経ち、調べましたがJRからの利用者が少ないのでし
ょうか、今でも余り変わっていません。ヒアリングは約30分でしたが、2億円の設備投資ををする力が
ないことから、密かに「大賞にならない」ことを念じていました。昨年提案した竹酢液であれば実現でき
たのですが・・・。2週間後に連絡があり、大賞の選に漏れたことを上原先生に事情説明をしました。
(次回は、珠蘭会〜福尾券一先生との出合い)

●頑張れ ベンチャー〜その13(連載)
 珠蘭会〜福尾券一先生との出合い 
 平成4年4月、友人の勧めで社交クラブ「珠蘭会」に入会しました。名古屋に社交クラブがあることを
知り緊張して入会したことが思い出されます。珠蘭会の趣旨は世代を超えた心の交流を図る団体です。例
会は毎月名古屋市内のホテルで開催します。例会は楽しさを優先して、趣向を凝らした演奏会、タンゴ・
シャンソン・民謡・踊りなどが毎回行われます。
 平成9年1月、小町ネットで開発した「炭焼十字軍」が財団法人中小企業異業種交流財団優秀製品賞を
受賞したことが珠蘭会例会で紹介されました。この時、同じテーブルについた福尾券一先生が名古屋工業
大学名誉教授と知りお付き合いが始まりました。ソフト分野から物理、化学分野の知識は本を読むことで
は遅々として進みませんでした。竹酢液、炭、金属、断熱、酸、アルカリ、ゼオライトなど次から次へと
知識が必要な時期でした。そんなときに先生と出会い、少しづつワンポイントレッスンを受けました。
榎本「先生 いろんなことを聞いていいですか」
先生「いいんですよ、聞くことが一番早い解決策ですよ」
心温まるお言葉に甘えて、まるで小学生のように質問を浴びせました。先生とお会いために質問を準備す
るようになり、珠蘭会で先生にお会いできることが楽しみとなりました。「炭焼研修会」(現環境ビジネ
ス研修会)の講師も度々依頼しました。
平成10年から3年間は先生と東北大陸縦断勉強会に行きました。先生が若い頃に見つけたクリストバラ
イト鉱石を「いつか世に出したい」という話を聞いたことが切っ掛けでした。会うたびに「先生、クリス
トバライトはどんなところに、どんな風にあるの?」
1年目は下北半島へ、2年目は津軽半島、3年目は秋田県でした。下北半島では尻屋崎と大間崎を眺め、
半島の大きなことに驚きました。JRレンタカーで半島巡りをしましたが、山の中で故障して4時間ほど
立ち往生して予定が大幅に変更になりました。津軽半島では太宰治記念館、歌に出て来る竜飛崎や十三湖
を車窓から眺めて急ぎ旅となりました。秋田県では「きみ待ち恋文コンテスト」で有名な二ツ井町の米代
川沿いのゼオライト鉱山と工場を見学しました。いずれも車中や旅館で先生を缶詰にしての特別講義をし
て頂きました。
平成10年中小企業総合事業団派遣の北見工業大学鈴木勉教授、同11年島根大学上原徹助教授の3人の
先生から多くのご指導を受けました。炭焼十字軍などの装置開発、炭製品開発を通じて大きな自信をつけ
ることができました。
(次回は、ニュービジネス大賞に挑戦)



●頑張れ ベンチャー〜その14(連載)
 ニュービジネス大賞に挑戦 
 『「トライ アンド エラー」ができるかどうか、が研究の基本ですね。』という、福尾先生の何気
ない言葉は、装置開発、新製品開発を進める度に痛感しました。
「一つ解決すると五つの謎がでます」「先生、それなら無限大に広がるんですか?」などなど、という
禅問答を、会うたびにしたものです。
 (財)中小企業異業種交流財団:優秀製品賞を受賞して大きく変わったことは社会的責任でしょうか。
表彰式で名刺交換した全国の方から、各地の展示会でお会いするたびに、「昭和企画さん」と声を掛け
られ、或いは、ブースを尋ねて来てくれて質問の嵐を受けます。その度に、嬉しさとドキッと両者を感
じたものです。背中に感じる視線は痛くもあり、嬉しくもありですね。この質問の受け答えは事前に多
くの勉強と実験と研究が支えとなります。
 平成11年開催のベンチャープラザから産業基盤整備基金が「企業情報開示マニュアル」(記載例・
記載内容)と「企業情報報告書」の配布を始めました。一体なんだろう、と思い手にして帰りました。
企業情報報告書は35ページに上るもので、書き始めると50ページを越えると思われる、正に「恋人」
を口説き落とすためのラブレターです。いつかは挑戦したい、と思わず感じたものです。
 同年5月、大和証券SBCM桑山さんから「ニュービジネス大賞に出してみませんか」というお誘い
を受けました。何気なく、一度挑戦してみようか、と気楽に返事をしてしまいました。提出書類が1週
間後に届き、「正夢」のような書類作成となり、提出期限の6月末までの戦いが始まりました。
(次回は、ニュービジネス大賞に挑戦)



●頑張れ ベンチャー〜その15(連載)
 中国から招請状〜きのこ菌床システム 
 平成12年6月末までにニュービジネス大賞応募用紙と添付書類の会社案内や新聞紹介記事などと共に提
出しました。漸く目標を成し遂げ、「後は野となれ、山となれ」という開放的な気分となりました。
 同年6月、中国遼寧省撫順市科学技術委員会からFAXで招請状が届きました。内容は、「貴社が開発し
た針葉樹きのこ床システムを勉強したいので招待します」、というものです。ドキッ、ドキ、ドキ・・・。
針葉樹きのこ菌床システムとは、杉・松・桧などのおがこを原料として菌床きのこ栽培をするものです。従
来は、広葉樹を原料としていましたが、広葉樹が枯渇していることで島根大学上原徹助教授が考案したもの
です。電極の間に15KVの電流を流すと、木材に含まれるリグニンが分解・除去されて広葉樹のように改
質する技術です。弊社で開発した技術ではないので、上原先生に事情説明をしました。しかし、先生は学会
などの予定と学長の許可を申請するので分からない、との返事。撫順市科学技術委員会からはFAXや電話
での督促があり、時間と共に追い詰められてしまいました。一人で行くには荷が重たいし、招請状は嬉しい
ことだし、などと複雑な思いで単身で8月29日から9月2日まで行くこととなりました。
 事前準備をするのに情報を集めるとお土産が沢山いることが分かりました。ところが、中国になくて日本
的な物を探すと難しいことはこの上ないですね。身の回りの多くのものが中国産なんですね。時計もライタ
ーも電気かみそりも扇子も・・・。
 いざ出陣〜
 8月29日出発前に関西空港売店で買うことになりました。何人の人に会うか分かりませんし、少ないと
困ると思い30数個を買い集めました。十分時間があると思っていましたが買い物に多くの時間を費やして、
気が付くと出発時刻13時10分の10分前です。大慌てで、出発ロビーで瀋陽行きの受付カウンターへ行
きました。すると、女子社員「もう出発しました」、榎本「まだ間に合うはずだよ」、問合せ後、「急いで
ください」、はぁ、はぁ、と息せき切って大走りでサウスウィングを行ったり、来たりしながら、やっと搭
乗できました。もし搭乗できなかったときはどんな風に言い訳をするのだろう、と思ったときは寒気がしま
した。ホッ、ほっ。
 瀋陽空港へ予定通り14時30分に到着、単身で行ったのはどうも自分一人のようで、中国語の案内が分
かりません。兎に角空港から出ることだけを考えて行動しました。空港を出ると「榎本先生」(中国では男
性には先生と呼びます)と書かれたプラカード探せば良いことになっていました。しかし、空港の出口は日
本からだけではなく、北京・ソウル・ロシアなどからの便と合流しています。多くので迎えの人の中から探
すのに約10分ほどで見つけて頂きました。通訳の王暁光さんと科学技術委員会の王さん、運転手の孫さん
の三人の出迎えを受けました。撫順市から瀋陽市までは300キロありますので面喰らいました。聞いてみ
ると、「車で2時間半くらい」だからとの返答です。後で詳しく聞いてみると運転手の孫さんはプロの運転
手だったんです。高速道路を飛ばしながら16時30分にホテルに到着しました。


(次回は、中国から招請状その2〜白酒で乾杯〜エッ 45度!)